01-03: 壱岐島
エメラルド色の湯ノ本湾に手こぎの船が1艘ゆらゆらと沖を目指して漕ぎ出していく。目を少し上げれば小高い山並みの中程に真っ白な煙がこれもまたゆらゆらと立ち上る。
釜土に杉の小枝をくべてーほりこんで、目をしょぼしょぼさせながら朝食を作るおばさんの姿が頭に浮かぶ。ここは長崎県壱岐島に1軒しかない国民宿舎の一室である。
ゆっくりと窓の右端に顔を向けると、朝靄を思わせるような煙が漂う丘の連なりが目に入る。島国の朝は早い。農業と漁業そして畜産を主な業とするこの島で仁科克資は産声を上げた。
6時5分、産湯を湧かしているのは仁科克資のお婆ちゃんである。
「こりゃ目が大きいばい。髪もまっくろたい。トメコさん! よ~ぉ頑張った。やっと跡継ぎができたとよ。」お婆ちゃんの歓喜はとなりの部屋に控えていた父親の耳にもはっきり聞こえた。
分家ではありながら、先祖累代”義”と”礼”を重んじ”正しく生きる”を家訓としてきたこの農家に男の子の数は少ない。
九州北方の玄界灘に浮かぶこの島は南北17km・東西14kmのちいさな島で周囲には23の属島が存在し、まとめて壱岐諸島と呼ぶ。ただし、俗にこの属島をも含めて壱岐と呼び、壱岐島を壱岐本島と呼ぶこともある。
「こりゃ本島の代議士さん誕生たい」と父親は産声を上げたばかりの長男に期待を込める。本島と呼ばれるには島民の数3万8千人は少なかった。
兄姉は2年後に生まれる弟を入れて一姫二太郎、姉の活発さから比べると下二人はおとなしいほうであった。
あるとき兄姉三人で5頭を飼う牛小屋で遊んでいるとき、牛の餌となるわらを切る”押切り鎌”の歯の上を右手が通過しよとしたその瞬間、姉が走ってきた勢いで手をついてしまった台の上の鎌歯がギロチンのごとく右人差し指を切り落としてしまった。
「ギャ~あっ」と泣き叫びながら、右手人差し指からぼとぼととこぼれる血柱を左手で受け止めながら母屋の方に走っていく。母屋を飛び出した母親は「こりゃどげ~んしたと!?指はどけ~-何処に捨てたとナ!」と顔面真っ青にして克資を抱え込む。
血柱に見えたのは真っ赤な血で包まれた指そのもので、ゆらゆらとぶら下がっていたのである。
幸いにして切れた皮膚は縫い、骨折した指は石膏で固めることで、大事ではあるが不具者にはならずに治療を終え完治を待つのみとなった。
いよいよ2ヶ月後、石膏を外す時がきた。「よかったね~」と誰し思ったに違いない。「にぎってみんね、違う違う、人差し指を曲げちみ?」と看護婦は言うが「動かん!」と克資が苛立つ。
骨が切れているいるにも関わらず筋が切れているのを見落としていたのだ。再度同じ病院で指を切開するも2ヶ月も自由にされた筋は左右に縮んでいた。無理矢理ひっぱて結び留めた筋は肉と同化し二度と第二関節を曲げる機能が蘇ることは無かった。
今ならば損害賠償ものだろうが親戚筋が経営する街の大病院が相手では致し方ないことと両親も納得したのだろうが、筋を無理矢理引っ張って括って結び終えてシャンシャンとなるのだから大胆きわまりない。
この大胆さは温和しい5歳の克資の心の奥に睡っていた”何か”を目覚めさせることになるとは誰が知り得ただろうか。