01-04: クレゾール
元来男の子は女の子に比べて胃腸が弱いもの。克資も負けず劣らず、お腹をこわしては病院に連れて行かれることは絶やさなかった。
仁科家の本家筋にあたる仁科家の次男も同じで、同級生同じクラスと言うばかりでなく病室も何時も同じだった。
指の手術から遡ること2年、克資が3歳になったばかりの夏、庭先の筵(むしろ)に干してあった半生の干芋をつまみ食いしたのであろう、お腹を壊して案の定、病院に運ばれた。仁科病院である。
それまでは注射と薬で1,2日で治るはずが、今回ばかりは様子が違う。3日目には42度の高熱を出していよいよ今晩が峠ですねと仁科先生に言われ、家族一同はベットの周りに集まっていた。
峠と言われても夜通し後退交代で水枕とタオルを交換するか、時折、息も弱々しい克資の顔色をうかがいながら「頑張な、ガンバラないかんとばい」と嗚咽ともいえぬ声をしのばせるしか無かった。
夜中の2時を回った頃か、「う~っあつ、暑か、熱かよ~」と克資はむっくりと上半身を起こす。幽体離脱ではあるまいにベットの枕下辺りに頭を横たえて眠り込んだ母トメコは気がつかない。
トメコだけでなく床に新聞紙を敷いて横になっている家族皆が看病疲れと気疲れで眠り込んでしまったのだろう起きる気配がない。
この頃から周囲に気遣う優しさが備わっていたかどうかは定かでは無いが、おもむろにベットから降り立つとお父さん、お爺ちゃん、お婆ちゃん、叔父さん、そしてお姉ちゃんの胸の上をそ~っとまたぎ、足の間を忍ぶようにゆっくり渡り歩き廊下に出た。目指すは廊下の中程にある洗面器。真鍮で組み上げられた洗面台の上に白いペンキの塗られた洗面器が載っている。淵は茶色く錆びているが中には満面の黄色い消毒液に満月がゆらゆらと映っている。
「克っちゃん! 何しよっとな!」と母親が走り寄った時には洗面器は傾き消毒液は半分ほどになっていた。「飲んだとねー?」廊下にこぼれたタワシ大の消毒液を見つめながら母親が口元で叫んだ。
「太か声たいね」と頭をよぎるまえに、突き刺さるように入り込む母親の2本の指を咽が感じると同時に克資は失神してしまった。
あの世とやらがあるとするならば、今、判決がでるはずのこの法廷は”あの世”に違いないと今でも思っている。