01-05: ひきとおし
「原告番号11-2:パワーハラスメントによる損害賠償請求訴訟・第4回を始めますが、既に原告、被告側に準備書面10-3で原本提示しております証拠整理、特別追加証人喚問に切り替えたいと思います。
原告側、被告側双方異論はないですか?」と裁判長。「原告側 よろしいですね?」「結構です」と克資がマイクを通して頷く。「被告側 よろしいですか?」「進めてください」と淡々と被告側弁護士は立ち上がりかけの腰を直ぐに下ろして答えた。
先月の最終答弁の閉廷時に今日の裁判は「判決」と聞いていたが一週間後に弁護士兼書記の北川さんから電話で「新たな証人が見つかったようなのでこれから打ち合わせをお願い出来ませんか?」と息が切れた話し声の後ろにジングルベルと車のクラクションが聞こえるので法律事務所を出て携帯電話で申し入れをしてきたようだ。
「新たな証人ですか? 次回1月20日でしたっけ裁判は判決ですよね? これ以上証人がでてきても私に不利なばかりでしょうから北川さんにお任せします。」ととりあえず面会拒絶モード。
「じゃなく、仁科さんに有利な証拠を持ち合わせた方が名乗り出て来られました。内容はこれから伺うのですが是非とも仁科さんにも同席頂きたいのですが」「これからですか? こちらにいらっしゃるんですか?」
「9時に新橋駅のこの前打ち合わせで使ったそば屋さん”ひきとーし(壱岐島詩)”で待ち合わせしたいんですが。夕食は済ませて来て頂けると助かります。とそれに仁科さんの好きなビールも飲まないで来て下さい!」とは失敬な。
良いように傾くとは思えないが「分かりました。行きます」といってスマフォ・Lineを切った。
ここ”ひきとーし”は、「大事なお客さんを奥の間に引き通してお持て成す」意からの造語なのだが、これに壱岐島詩というこの料理の生まれ壱岐の島を長閑に謡う店と言うことで店名が付けられたようだ。壱岐島での仁科家の法事-祖父の49回忌に行った際、おばさんから、息子が東京で内閣官房「まち・ひと・しごと創世本部事務局」企画官をやっていて美味しい店だというので行ってみたら?と紹介されたのを機に、最初に北川さんと打ち合わせをしたのがこの店である。
きっかり待ち合わせ時刻に現れるのをポリシーとする克資がガラガラとガラス戸を開けたのが8時55分なので尋常ならぬ思いで北川弁護士に会う気になったのは当然のことである。
「おいでまっせナ どけ座ってもろても良かばってん、一番奥は予約席なもんでこの辺で如何ですか?」と変な訛りの案内に「いえ、恐らくあそこの予約席に呼ばれてると思うんですけど?」「北川さんのお客さんじゃろか?」「恐らく・・・」と頭をかきながら『この店を一番に紹介したのは僕なんだけどなー 覚えてないかなー』と女将を睨めつつテーブルの間をくねくねと勝手に奥に足を運ぶ。
靴を脱いで掘りごたつ風の6人掛けテーブルに一人座って待つこと2分。北川さんと見慣れぬ50くらいの男性と40歳前の女性の3人がこちらに硬い表情のまま一直線に向かって来た。