「早く死にたい」と言われたときの”繋がり方”
ずーっと悩んでいたこと
やっと昨日、そのお年寄りに聞くことができました
『どうして死にたいの?』って
「死ねば、この足が痛いの感じなくなるでしょ!?」
「そうか、死ぬほど足が痛いんだ」
「でも、痛いって感じるということは生きてるって証拠でしょ!」
「痛いので足を切って歩けなくなり寝たきりになった人がいるけど、
そんな人に比べたら齋藤さん、こうして痛くとも歩けてるんだから幸せだよね」
話の筋は通っていないけれど、そんな話をして直ぐに、
しっかり両足で歩かれてお手洗いに誘導することが出来ました
昨夜はこの人たちとの最後の夜勤でした
『死にたい』という告白には、
『死にたいほど辛いが、もしその辛さが少しでも和らぐなら、本当は生きたい』という意味が
あるそうです(熊谷真一郎・小児科医)
また、『希望とは絶望を分かち合うこと』とも
ということは、
決して上から目線ではなく「一人じゃないよ」とやさしく伝えることなんですね
そして、私自身は10年後の目標を起てました
“玄界灘に浮かぶ夢の島 小規模多機能居宅介護ホーム やさしい手・壱岐”の設立