やさしい手・壱岐(009:空蝉)
今年、長い梅雨が明けたのは8月に入る寸前の7月30日
いつも朝早くから五月蠅く鳴くクマゼミが、やっと本調子をだし、残された夏を大急ぎで謳歌すべく唸りだす
いつもの公園以外に、彼方此方の家の庭木でも唸りだす
このクマゼミはまだ日本では静岡県の西・浜松辺りまでしか北上していない
横浜や東京の人は「なに?そのクマゼミって?」といった感覚なのである
が、知るところ5年前までは静岡にはその泣き声を聞くことはできなかった
温暖化とともに、西の方から徐々に北上しつつある
おそらく10年後には神奈川・足柄の丘陵地でもクマゼミに抜け殻を目にすることになるだろう
そして、今日8月30日、公園側のポストに手紙を投げ込みに行った際、聞こえてきたのがツクツクボーシの鳴き声
思わず「早くネー?」って言ってしまったがツクツクボーシには失礼だったか?
「俺たちもヨ、早く鳴かねーと秋がこねーんだよ もう立秋すぎてんだろ?ツクツク」ってね
世の中、コロナコロナで生活様式も代わりつつあると言うけれど、自然を無視して勝手に環境を変えようなって無理がある
種々の移り変わりがあろうけど、皆のいる世界がいつまでも穏やかでありますように願うのである
「ねぇねぇ どうしたのよ! 大海(仮称)さん」と声を掛けたスタッフの目に飛び込んできたのは、
箸が殆どつけられていない状態のお昼ご飯
皆さんと一緒に「戴きます」をして半時間程も経ってからのテーブルの上
軟飯のご飯椀とワカメ豆腐の味噌汁は定番
それにメインの牛肉炒めにはキヌサヤが天盛り、キャベツの炒め物とナスの甘煮が添えられている
小鉢には缶詰の蜜柑がデザートで付く
大海さんは、キヌサヤを1枚とご飯を2口ほど食べただけなのだ
「このなす、とっても甘く、柔らかく煮てあるので美味しいよ、一つだけ食べてみようよ、ネ」と箸を握らせる
静かになすを口に運ぶ
他のスタッフも同じように声掛けし、提供の半量はたべただろうか大海さんの顔には、満足の笑みが残っていた
そんな笑顔にスタッフは「ありがとう、ありがとう大海さん」とお食事されたことを労う
最近は、食事量が少なくなってきたので日に1缶250mlのエンシュアを飲んで貰っているとご家族から話があったが
こういうこと?
ご主人は大柄なのに大海さんは140cm程の小柄なお婆さん
曲がった腰を伸ばしてあげても150cmには満たないだろう
怪我や病気で車椅子を利用されるようになった訳ではないようなのだが
お家ではもっぱら車椅子は使わず、床やローカを這って移動される
「車椅子に頼っていると仕舞いに動けなくなるから」と言うのがご家族の理由
この日、初めて大海さんを夕方にお家にお送りすることになった
送迎車から車椅子で降り玄関を入ると、サンマの香ばしく焼けた匂いがして、思わず大海さんの顔をのぞき込む
「夕ご飯、美味しそうだよ」と目で合図すると、いつもの笑みで「ありがとう」と応えてくれる
車椅子から上がり框に降りるのを支援したあと、トイレまでは3m程のローカを這って往かれる
トイレの入り口でスリッパを両手にはめて便座までやはり這って移動
便座に座ることは自力ではできないので、立位を支援し、ズボンとリハパンを下ろしてあげる
排泄が終わると、パジャマへの更衣をお手伝いする
四つん這いで移動されるためか、膝は黒く黒損でいる
再びローカを這って、夕食中のご主人の居る居間に誘導するが、5m程の距離を何回か横になり休まれる
やっとたどり着いた居間、そのままテーブルに着いてもらう
「ねぇねぇ どうしたのよ!! 大海(仮称)さん」と声にはならなかったが、またしても驚愕のスタッフの叫び
テーブル上に用意された大海さんの夕食が目に飛び込んでくる
ウズラの卵ほどの量でしかないご飯が底にこびりついた御椀
焼いたサンマは長さ2cm程の尾っぽだけの切り身が皿に置いてある
小鉢には薄い人参のお新香がたった2枚、それとマグカップになみなみとつがれた麦茶
これだけ、いや、それだけなのだ
蝉の命は7日という
木に産み付けられた卵から幼虫にかえるのが7週間
幼虫が自力で、木の皮を這って地中に帰るのに7ヶ月
地中でさなぎになるまで7年間
やっと土から這い出て、木の枝を登り留まって7時間かけて孵り
元気一杯に唸りだす
(7・7・7・7 わぉー! フィーバーだ)
元気の源は、長いくちばしを差し込んで食べる樹液
唸りながら前後左右に動いて差し込める木の窪みを捜す
冷たい木の幹は堅い、暖かいと皮も柔らかく、くちばしが差し込める
暖かい環境が北上すると、逸れに連れてせみも北上するのね
全て環境しだい
大海さん、ご飯が食べられなくなったのか、ご飯を食べたくなったのか、はたまたご飯を食べさせて貰えなくなったのか
恐らく、食べれない体調の日に、食べられなかったので、食べさせて貰えなくなったのだろう
私たちの生きる力は”食”からだ
人間に限らず全ての生けるものは”食”から”命”を維持するのである、あたりまえ
環境の移り変わりはその時々にあろうけど、まずは精一杯栄養のあるご飯を楽しみながら食べる習慣は
本人のみならず周りの人たちが大切にしてあげるべき事だと思う
そしてその習慣は、老いる前に培っておかないといけないことなのです