やさしい手・壱岐(004:お墓)
幸いなことに我が家の両親は90歳を過ぎて尚健在
二人ともアルツハイマー型だの脳血管性だのとお医者様からはしっかり”認知症”の印籠を渡されている
「91から7づつ引いていってください」って言われ指折り思案のお袋
介護度認定調査の時の話である
「いや、口で言ってください!」
「えっとー、91から10引いて3を足せば良いから、84でしょう」と冷静・論理的なお袋
「あー、もう良いです」「じゃ、どこの学校をでましたか?」とこっちは感情的な医者
「鯨伏(いさふし)小学校ですけど?」
「だから、何処? 神戸? 東京? それとも朝鮮!」
まー、色んな意味で失礼な医者なこと
立ち会っていた私も、開いた口が塞がらないとはこのこと
私なんか「なんで、91から引くのは7なんだ?」って思う
「91から一つずつ引けば良いじゃん」ってね
恐らく健常者でも91から7を引いた数を即答出来る人は少ないんじゃない?
幾ら仕事とは言え、老人を相手にした認知症検査とは思えない
極めつけ、「そんなこと言ってると、お父さんと同じお墓は入れないよ」だそうだ
「ほっとけ-」「検査結果なんていらんワ」などと怒り心頭で病院を後にした
神津善行さんと中村メイコさん
このお二方、おしどり夫婦で有名な結婚生活62年越のまさに超有名な方
先日の『ごごなま「神津善行 中村メイコ」』ってトーク番組で、
お二人は「将来、同じお墓に入らないことを決めている」と明かしておられた
なんでも、それぞれのお家にお墓があるにもかかわらず、どちらか一方に一緒に入ってしまうと、
入らなかった方のお墓を観る人いなくなるからだそうだ
「じゃあ分骨しましょうか?」ってメイコさんが聞いたら、
「いや結構! 口の辺りの骨が来たら五月蠅くてしょうがない」と本音の神津氏
お子さんのカンナさんの入るお墓も何処にするかが既に決まっているらしい
正直、死んだ後に何処のお墓に入ろうが、海に散骨されようが、えげつないけど鳥にあさって食べられようが、
死んだ本人には分かりゃしないし、死んでから改めてあの世の行く先(天国/地獄)が変わるわけでもない
要は、生きているときに、家族や辺りの人に「死んだら~のようにしてね」って、ちゃんと終活をしておくことが重要なんだろう
家族や辺りの人は「大丈夫よ、ちゃんとしてあげるから」と言うが、この「ちゃんと」が曲者
「私の骨は、壱岐の湯ノ本湾が見える品川家のお墓に入れてな」と、ぽつりと独り言のように言う親父
昨年の春、夕食時の会話である
お袋は「おばさん連中が好き勝手なことを言うので聞くのいやだけど、死んだら同じお墓にはいろうかな」と
やや控えめな意思表示
「それやったら、死ぬ前に故郷の壱岐に帰って、終活しておかないと親戚からお許し貰えないじゃん!」と言う私に
二人が無言で頷く
「品川家のお墓は行く行くは私が面倒見なきゃいけないんだし、品川家を継ぐんだったら、早めに壱岐に帰らないとネ」と
契約成立
もともと親父は「今からは農業では飯は食えん! 都会に出て生計を立てれる道を探さないかん!」と
長男にして故郷を捨てて60年経つ
その故郷は末っ子の叔父さんが家を継ぐことになったが、そこの品川家の墓はなぜか私が見ることになっているという
複雑なレールが引かれている
良きパートナーに恵まれ、複雑かも知れないけれど、どこまでも離れず・近寄らずのレールを今のうちに敷いておきたい
神津・中村夫妻は、6年前に30年暮らした一軒家からマンションに転居
その際、トラック7台分の断捨離を敢行したそうだ
我が家でも、何年か後に、神戸から玄界灘の夢の島・壱岐に、トラック1台だけで逆移住することも有りかも (^_^)v