やさしい手・壱岐(012:故郷)
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」
自分の生まれ育った土地は遠くにあって、もはや還れなくなった
それは、まるで透徹するまでに澄み切った純粋なものへの憧れを捨てたようなもの
「死んだら、骨は、湯の本湾の見える家の墓におさめてナ」と父がつぶやいた
42歳にして卵巣癌で亡くなった長女の眠るお墓への月命日のお参りをした時のこと
平均寿命はとうに過ぎた92歳の父、捜し物をしていて椅子の上に立ち上がった所でバランスを崩して転倒、脊椎を圧迫骨折
3ヶ月は入院・養生が必要と医者に言われながらも、1ヶ月もじっとしてられず病室を逃げるように自宅に帰ってきた
それから1年が経過、背骨は大きく砕けた状態で完治せず「お年からして手術は困難、残される生涯この痛み止めで乗り越えるしかない」と
モルヒネをくれたのは”緩和ケア”の医師だった
類い漏れず、アルツハイマー型と脳血管性の複合型認知症と診断されて5,6年経つが、他に病気と言える症状は何一つ無く
気丈な父なのである
ここ長女のお墓は、故郷の長崎・湯ノ本湾から遠く離れた神戸・六甲山系の丘陵地に広がる大墓地の一角
遙か遠くに、明石海峡大橋が望める
明石海峡を望める墓地を、湯ノ本湾に見立ててこの墓地を購入したのだろうか
若くして「こんな農業ばかりしとっちゃ生活してゆけんけん、都会で仕事すっと」と言って
長男で有りながら一家5人共々引っ越して来て50余年が経つ
それまでに何度か「そろそろ帰ってきて家を継がんね?!」と兄弟や母親から言われてきた
都会とよばれているこの町で、その頃の友人と一緒に会社をひきついで、いつのまにか重役まできたのだ
社長にはその友人が就いているのでこれ以上の出世は望めないし、必要以上に稼いだ後の年金受給は既に始まっているので
父の言う一家が暮らしていける基盤は既に築かれている
しかし長男でありながら、一家引き連れて田舎を飛び出した父である
今更帰ろうにも敷居はエベレストほどにも高いはず
望郷の念は腰痛とともに、残された幾とせも頭の隅っこに蔓延っていくのだろう
これまで身体介護の必要の無かった両親だが、2,3日前から便失禁続いている
1ヶ月ほど前の下血から2週間の入院を強いられて以降、自閉症や鬱症状がひどく
今日も3時のおやつ時からパジャマに着替えて、ベットとトイレの行き来を5分おきに繰り返している
「お爺ちゃん、仕舞ってあったパンツが重たいけど、これどうする?」とリハパンを素手でスリスリする母にも手が焼ける
何年もパッドを愛用の母を含め、いよいよ身体介助が必要な時がきたのだ
父を初めて入浴に誘った
退院後にふらつきがあったので、転倒を見守るつもりだったのが、どうも洗体・洗髪の仕方を忘れたらしい
昔から「カラスの行水」ではあったらしいので、体は洗わずに湯船に浸かって出てきていたのだろう
先日もそーっと見てると湯船の中でタオルで下肢だけゴシゴシやっていたと思いきやザブンーんと上がって
タオルを絞って体を拭き始める
「お父さん! 背中洗うからちょっと座って」と伝えるも、いつもの口調「大丈夫!」が飛び出す
こういう時は決まって「子供みたいに扱うなって!」と怒られる
生まれて初めて父の背中をあらう
介護施設で普段から行う洗髪も忘れない
「ありがとう」と小声で呟く父に接し「帰るべきだな」と心に誓うのである
「若気の至り」とか言うけれど
勢いに任せて故郷をすてるものではない
「そのこころもて遠き都にかへらばや」と犀星は最後に言う