やさしい手・壱岐(015:山吹の花)
「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」と道灌は詠んだ
若き日の太田道灌が、蓑(みの)を借りるべくある小屋に入ったところ
若い女が何も言わず山吹の花一枝を差し出したので道灌は怒って帰宅した
後に「貧しくて、蓑を貸そうにも蓑一つ無いのです」の意が託されていたことに
自分の無学を恥じたという有名な話
でも、山吹にはちゃんと実はなるんですよ、と古典の先生
じつは八重咲きの山吹にはやっぱり実はできないけど、一重咲きの山吹にしっかり実をつけるんだ
「どういうこと?」
”一重咲き”が雌、”八重咲き”は雄という風に考えると自然ですね
草木といえどもみんなちゃーんと花は咲き、しっかり実もつける
「早苗さん?! だからしっかり食べて、しっかり花を咲かしてくださいよ」だーって・・・
「ねえねえルイ、可笑しくない? 花を咲かせることと食べることとどうやったら結びつくのよ!
それもまるで私が日頃食べてないみたいに! 失礼しちゃうわ」
同じ方向に帰る路での浅井ルイに向けた怒りにルイは
「ははバッカだなー早苗! 人の一生はまず食べることからはじまるってことじゃん」
「・・・・・」
「食べ物が体を作ってんだよ、だから花であろうが実であろうが栄養のあるもんを食べなきゃ始まらないって事でしょ」
と分かったかのように更に続ける
「それにさー、古典の先コーなんだからその辺の人生とかには浅はかな知識しか無い訳よ」
「そだね! じゃまた明日! バーイ」などと納得の程は定かでは無い
実はそんな会話の15年後に山下早苗とその古典の先生だった矢吹辰夫が結婚してしまったのだから驚き
「ねえ辰夫さん、私、あまり料理得意じゃ無いじゃん? 下手くそでしょう?
辰夫さんの一生台無しにしちゃうんじゃないかなー」
「なんや、ヤブから棒に」
「昔言ってたじゃない、『しっかり食べることで花が咲く』って!」
「そんなこと言ったっけ?・・・」
「『だからしっかり食べさせてくれ』って言ってたワ、『美味しい料理を作くれ』ってことでしょ?!自信ないナー」
5年も付き合った末に、辰夫のプロポーズに一も二も無く快諾した翌日のことだった
「あー山吹の話ね? 思い出した・・・・”食べることは生きること”って話か」
「えー、そうだっけ? 食べると実がで・き・・・・・・・じゃなかったっけ」
「同じ事だよ、”食べたもので体ができ”、”聞いた言葉で心ができる”そして”発する言葉で未来ができる”」
「なーんか違うような・・・?」
「蓑ひとつない貧乏な暮らしをしている娘が、事の申し開きに実の咲かない山吹の花を差し出してプロポーズした・・・」
「ちょっと待って! そんな筋書きじゃないってば!」
「ははは、同じ事、同じ事、綺麗に食事をする人は貧しくとも綺麗な人になるってこと、綺麗な心のね、つまり早苗だよ」
「???」
「太田道灌はそんな純真な心をもった娘と後に結婚したんだよ」
「??」
「つまり、あの時に、プロポーズしたって訳」
「?」
「純真な心をもった小娘に・・・」と指で早苗の額をちょんと押す
「もーっ! だ・か・ら・、私、料理上手じゃないから!」
早苗は若くして老人施設で働いている、小規模多機能型居宅介護施設である
大学4年のとき福祉科の実習講義の一環で病院での見取り介護体験に引かれるものがあったのが就職のきっかけだという
大学の卒業論文でも「老人介護のあり方」を書いた、その中で強く”食事”、”運動”、”睡眠”の大切さを取り上げたのが
とある施設の施設長に気に入られ、就職活動を殆どすることなく職員に採用されたという
「山下さんは、何故、人にとって”食事”が一番重要と思うのですか?」との面接官の問いに
「”重要”ではなく、食べかたを見るとその人の思いっていうか、人に対する接し方そのものを見ているようで
介護する上でとても重要な情報だと思っています」
と答えたと言う
「だからね」と辰夫は言う「料理が美味いとか、調理が下手とかじゃじゃないんだよ
食事をつくるって言うのは、人に向き合うということ
食事をするってことは、人の心を知るっていうことなんだよ
だから、料理の上手/下手は関係ない、要は人、つまり早苗は、人つまり辰夫にどう向き合えるかってこと
できあがった食事つまり早苗の真心を、僕はしっかりと受け止めたいと思っている」
「太田道灌は、あの持ち帰った山吹の花をどうしたと思う」
「えーっ? そんなの習わなかったわ!」
「ハハハ・・・、道灌は翌日、その女に一重咲の山吹の花を贈ったのさ」
「へーんなの」
「つまり、『あなたの申し出は実りますよ』と応えたわけ、つまり結婚しょうってね」
ぽかーんとする早苗が神妙な顔で問いかける
「じゃーあの時、『しっかり食べて、しっかり花を咲かしてください』って言ったのは私へのプロポーズ?!」
「ピンポーン」っと辰夫がVサインで応える